日本で唯一国際認証を得ているカイロプラクティックDCプログラム

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岡本 嵩史


プロフィール

岡本 嵩史(おかもと たかし)
1983年広島生まれ。鹿児島大学を卒業。
通信機器関連のエンジニア職を辞し、本校に入学。

私は20期生として本校に入学しました。
しかし、当初は本校の見学会に訪れるものの、入学は断念していました。
やはり4年という長い年月、そして金銭的な負担など、懸けるものが大きすぎると考えたためです。

ですが、私の場合、卒業した先生方と話す機会に恵まれました。
出逢って間もない私にも、先生方は真摯に丁寧に話をして頂き、その中で先生の熱意とともに、豊富な知識、
感性に触れ、本校への興味が大きく強まりました。
また、私自身、人を診ることにおける喜びに気づかされる一方、基礎的な知識が不十分な状態で、人を診
ることの危うさを知る機会が重なり、基礎からじっくりと学びたいという意識が強まり、本校での学びを
決めました。
その時、既に4月の入学時期を終えていましたが、無理を承知して頂き、試験を受けることができました。
結果、無事合格して20期生の仲間入りをしたわけですが、振り返ってみると、いまもこれまでも、様々な
人に助けられながら、この学びの場に立っているのだということを、改めて痛感します。

そして現在、入学からまるまる2年が経とうとしています。
正直、懸けたものに見合ったような価値として、具体的にこれが得られた、と明言することは難しいのです
が、現時点において入学したことに後悔はありませんし、本当にこの学校に入って良かった、ということは
断言できます。
それは、着々と得られる知識、技術によるものもありますが、それ以上に、目に見えないような感性、哲学
といったものを未熟ながらも育み、学んでいると感じるからです。
この4年という長いスパンは、わたし自身においては、鹿児島での大学生活とも違い、社会人生活とも違い、
本校における、独特な時間の流れにいると思います。その中で、勉強しなきゃと焦ったり、働かなければ
と焦ったり、ふと、そもそも本当にしたいことは何だったのか立ち止まったり。どういった治療家になり、
患者さんとどう向き合いたいのか、どのように関わっていきたいのか、そのような事を考えていく貴重な
時間となっています。
残りの2年間、この期間の長さに慢心しないよう戒めながら知識、技術、感性、哲学を高めること。
そして、差し迫る厳しさを一度脇に置いた状態で、今の貴重な時間を味わい、深めること。
その両方を大切にしながら過ごしていきたいと考えています。

最後に、私と同じように入学を迷われている方に対して、
正直、私自身は、これこそが正解の道!なんてものはないと思っています。
環境はとても大事ですが、本気で学びたい方は、環境に頼らずとも成せるものがあると思います。
結局、優れた教育で教えられることはあっても、それを消化し、気づいていくことは自身にしかできない。
それでも学びを追及されたい方、また学びの中で自身の軸を築いていきたい方には、本校の環境は大きな力としてサポートを頂けるものでないかと思います。

3年 塩見 達真


私は親がカイロプラクターでもないし、大したスポーツ歴もないし、カイロプラクティックの存在さえもついこの間まで知りませんでした。

そんな私がTCCに入学したのは、いろいろと理由はありますが、カイロプラクターの職業性に惹かれたのは大きいと思います。

まず、他人に押し付けられたことをやるのではなく、自己決定ができます。
個人的なイメージですが、サラリーマンは上司から命令され、時間に縛られ、残業があり、ずっと座ってばかりでPCと睨めっこして、毎日楽しく仕事ができるのか疑問でした。
カイロプラクターは自ら考え、患者の身体を分析し、健康を手助けし、満足してもらいます。面と向かってサービスを提供し、感謝されるのはやりがいがあり、職業場所、時間設定、料金なども自由に選択できるのも魅力的でした。また、人間の身体には科学的には証明されていない事も多くあり、カイロプラクティックには未知の可能性があると思うし、20年以内にロボットに代わって50%の職種がなくなるというデータもある中、カイロプラクターはその危険が最も少ない職種に選ばれており、これからニーズが高まる職と言えます。

このようなワクワクした気持ちで入学して早くも2年ちょっと経ちますが、満員電車で通勤するサラリーマンが格好良く見える今日この頃です。学校での勉学はたくさんの知識を詰め込み、テクニックは想像以上に習得が難しく、自分の思考力、身体能力が試されます。特に3年生からは今まで学んできた事をカイロの臨床に活かせるように体系的に理解することが大切だと感じています。また、テクニックの習得は難しく、途方に暮れる事もある上、先生によって教え方が若干異なるので、最初は混乱しました。

ですが、先生方の親身な指導、クラスメイトとの練習、先輩の教えなどのおかげで、少しずつ身についてきました。絶対的な1つの答えを求めるのではなく、上手く吸収していくことを学べると思います。4年間は長いように感じるかもしれないですが、卒業後の自分のための準備期間であり、たくさんの事に挑戦もできます。

将来は患者さんの不調を丁寧にしっかり治せるカイロプラクターになりたいです。TCCで蓄えた知識、経験を元にして社会に貢献できるように、今の学校生活を大切に過ごそうと思います。

バースデー・カイロプラクティック院長 篠崎 大輔先生


プロフィール

高校卒業後、19歳でカイロプラクティックの世界に足を踏み入れる。2年制のカイロプラクティック学校を卒業するもしっかりとした知識と技術を身につけるためRMIT大学へ入学を決意。卒業後は、コア・カイロプラクティック錦糸町にて2年間勤務し、2013年7月故郷の栃木県佐野市でBirthday ~Chiropractic & Active Care Studio~を開業。JAC正会員、J-FOCS正会員。

カイロプラクティックを知ったきっかけ

私がカイロプラクティックを知ったのは、18歳高校3年生。
高校時代は、部活も勉強もやらず、友人とだらだらと目標の無い日々を過ごしていました。高校3年生になり進路に悩んだ私は、とりあえず大学受験でもと目的もなく受験をしました。
そんな受験の最中、私の友人は横浜のカイロプラクティック学校に通うことが決まりました。その友人にカイロプラクティックって何なの?と聞いたことがきっかけで私の人生は大きく変わりました。
カイロプラクティックは、腰痛や肩こりを治すことができる仕事だ!と聞き、小さい頃から母親が腰が痛い、肩が痛いと言っているのを思い出し、そんな仕事に就いても良いかなと考えました。
大学に合格できなかったら次の年俺もその学校行くわっ!と話したのを覚えています。目的の無い私の受験生活は勉強も捗らず、結果は・・・。友人に1年遅れてカイロプラクティックの学校に入学することになったのです。

短期のカイロスクールで学んでみて

学校に入学し、カイロプラクティックを学び始めますが、1人暮らしと横浜の楽しさに負け、一生懸命学んだという感じも無くあっという間に2年間が過ぎ、卒業を迎えてしまいました。
それから約3年間、都内のボディーマッサージ屋と飲食店でアルバイトをしながら生活を送りました。しかし、年々マッサージ屋での仕事に罪悪感と将来への不安が生まれてきました。人間の身体を全然わかっていないのにお金をもらってこんな事してていいのだろうか?という罪悪感、そして、この生活を続けていてカイロプラクティックで一生暮らして行けるのかという不安でした。セミナーへ参加したりもしましたが、基礎がわかっていない私がセミナー内容を理解することもちろん、その場での技術の習得など到底無理なことでした。もう一度しっかり勉強しよう、とRMIT大学への入学を決意しました。

RMIT(現TCC)での大学生活

大学生活は、カイロプラクティックを始めた頃からの『将来は開業する』という目標を現実的に考え、座学とテクニック両方に全力を注ぎました。また、人間力の向上とコミュニティを広げるために社会化活動部やセミナーなどに参加し、先輩、後輩、先生方との出会いを大切にしてきました。
その結果、熱心に教えて下さる恩師に巡り合い、助言を下さる先輩方と親密になれ、切磋琢磨できる同期や後輩と出会うことができました。RMIT大学に入るまで、勉強のやり方すら知りませんでしたが、業界のトップに立つ人達と関わる事で、こんなにも努力して時間を使って取り組んでいるんだ、ということを知りました。必死になることを学び、共に頑張る仲間のお蔭で、4年間で大きく成長することができました。
そして、開業に踏み切る場面でも、学生時代から築いた仲間や先輩方の後ろ盾が勇気となりました。困ったら頼れる人がいる。チャレンジするには必要不可欠だと感じています。
多くの人に支えられていることを実感するようになり、『感謝』という気持ちも持つことができるようになりました。その気持ちを忘れずにカイロプラクティックを生涯やっていきたいと考え、開業地は故郷の栃木県佐野市を選びました。
佐野市は、栃木県の南部に位置する田舎町です。故郷を離れて12年。絶対に帰ることはないと思っていました。しかし、自分の基礎を作ってくれた故郷で、家族や地域の方々に少しずつでもカイロプラクティックを通して恩返しが出来たらと考えられるようになったのです。

地元、佐野で開業して思ったこと

田舎町では、医師が神様だと思っている人は少なくありません。
『先生が言うんだから』『先生が出してくれた薬だから』『何かあったら病院に行けば大丈夫』。病気にならないように予防するという考えを持つ人は少ないです。
そんな人達に情報を届け、新たな健康観を知ってもらう。そして、実際に来院してもらった人には、元気で活動的な身体を作ってもらい、社会貢献をしていってもらうことが私の治療院のミッションです。
当院を知ったその時から、来院したその時から、新たな健康観になる、新たな身体に生まれ変わるという思いを込めて『Birthday』と名づけました。
開業するまでの事務作業もそれなりに大変でしたが心配することなんて何もありません。誰かが教えてくれます。それよりもカイロプラクティックをそこでやる目的、ミッションを考えることの方が大切だと思います。学生時代にカイロプラクティックって何なのかと迷った時も、先生から自分がカイロプラクティックをやろうと思った初心を思い出してごらんと言われ、悩みも晴れて続けて来られました。
自分の思いを形に出来て、多くの人々に伝えていける。そして、感謝もしてもらえる。カイロプラクティックは、最高の職業です。これからも成長し、多くの方々の役に立てる様に日々精進して参ります。

石川カイロプラクティック 院長 石川 貴章先生


プロフィール

出身
埼玉県春日部市
趣味
サッカー 料理 農業
入学した経緯
幼少期よりサッカー好きでプロ選手を目指すが、高校生のときにケガを繰り返し痛恨の思いで断念。当時の監督より、選手を支えるトレーナー側に回らないか、というアドバイスを受け、この道に進むことを決意。

TCC広報部・佐藤より、富山県にて開業された石川先生にインタビューしました。

広報部佐藤(以下(佐))
今日は、TCC10期生で、富山県富山市で「石川カイロプラクティック」を開業されている石川貴章先生(以下(石))をご紹介します。石川先生こんにちは。 今日はよろしくお願いいたします。
(石)
佐藤さんお久しぶりですね。お手柔らかにお願いします(笑)
(佐)
まずは何からお聞きしようかな…学校職員としてご一緒させていただいた時もあるので、 色々とお尋ねしたいです。まず、簡単にカイロプラクティックを学ぼうと本学に入学された経緯を教えていただけますか?
(石)
小さい頃からサッカーが大好きでプロの選手になることを目指していたんですが、高校2年生の時に足首の度重なる怪我と慢性的な強い腰痛からスランプに陥り思うようなプレーが出来なくなってしまいました。
その当時、何よりもチームメイトに迷惑をかけているのが苦しくて、監督に引退することを伝えました。何よりも、自分の思うようなプレーができないことが苦しくてたまらなかったことを覚えています。
(佐)
たしかに、カイロプラクティックをめざしてTCCに入学する方の中には、スポーツでケガをしたことをきっかけに入学するケースが多いですね。
(石)
だけど、決断とは裏腹にサッカーから心離れることができずにずっと悩んでました。
そんな時、チームの監督から選手を支えるトレーナーにならないかとお話を頂いて、その道に進むことを決意しました。
(佐)
監督も、サッカーが大好きなのに辛そうにしている石川先生を見ていて、ずっとベストな道を探していてくれたのでしょうね。高校時代にサッカーができなくなって、その当時からトレーナーというか、サポート側に回ったんですか?
(石)
はい。それからその後残りの高校生活は当時お世話になっていた鍼灸師のトレーナーの先生に指導を受け、チームの日々の練習・試合・合宿のすべてに同行し、主にスポーツマッサージやテーピングの練習の日々を送りました。
当時スポーツマッサージでは、一度に何十人もの選手にアイスラブというメントールの入ったジェル状のマッサージクリームを使用してマッサージしていたんです。自分の手の皮が何枚もめくれ上がり、指紋がなくなったことを覚えています。
振り返れば大切な下積み時代でした。同じユニフォームを着て切磋琢磨できない悔しさと後悔の気持ちを抱えることもありましたけど、チームメイトのみんなが感謝してくれることから、だんだん自分の存在意義のようなものを感じられるようになっていったんです。
(佐)
映画になりそうですね。
でも、高校時代にそういうご経験をされ、進路は自ずと迷いがなかったのではないですか?高校生で、自分が将来何をやりたいのか、何になりたいのか、模索しても見つからない、という子は多いと思います。
(石)
そうですね。高校卒業後は何の迷いもなく医療系の専門学校に進学し、スポーツ医学や東洋医学を中心に様々な民間療法を学びました。この学校では夜間の授業を受けていましたので、日中は同時に地元埼玉のスポーツケア・トレーニング・栄養指導などを行う総合施設にてトレーナーとして現場での経験を積みました。その後、より身体のことを理解できるようになりたい、もっとクライアントの力になりたいという想いを抱くようになって、知人の紹介を経てRMIT大学カイロプラクティック学科日本校(現:TCC)に入学を決意しました。
(佐)
石川先生は本学の学生時代から、「テクニックがうまい」と講師間からも評判だったことを覚えています。きっと高校時代からの小さな積み重ねが、人のからだの理解に繋がっていったんでしょうね。
ところで、石川先生には、本学を卒業後、講師として常勤講師をしていただきました。
学校でも積極的に学生にテクニック指導されていましたよね。講師として、 一番面白かったことや、大変だったことなど、何かエピソードがありましたら教えてください。

(石)
テクニックの指導で印象に残っているのは、DVD教材を制作したことです。学生の皆さんがテクニックを修得する上で効率よく復習できるようにDVD教材を自主制作しました。
慣れない撮影で大変でしたが、学生の有志の皆さんにご協力頂き、手始めではありましたがパート1とパート2を制作しました。特にパート2では3方向からカメラを設置して、テクニックを立体的に理解できるよう工夫しました。
テクニックの教育については当時色々と悩みました。前任の先生方にアドバイスを頂きながら、より学生の皆さんがテクニックを修得できるようにとテキストや資料を全面的に改訂し、講義中のデモンストレーションの方法や講義内容もブラッシュアップできるよう色々な勉強をしました。見守って下さった諸先輩講師の先生方の存在に支えられ、様々な新しい試みに挑戦させていただきました。
(佐)
学生として学んでいた立場から、講師という教える立場と、両方ご経験され、何か違って見えたことや、気づいたことなどありますか?
(石)
卒業後、学ぶ立場から教える立場になって一番強く感じていたのは、学生時代にお世話になった先生方のレベルの高さです。「先生は先生なんだから当たり前」と学ぶ側は心のどこかで思っている節があると思いますが、長年の臨床経験、講師経験のある先生方には到底足元にも及ぶはずもなく、同じように講義をしようにも上手くできるはずもなく、自分には無理だと逃げたい気持ちになることもありました。

初講義を任された当時は、知識の浅さに言葉を震わせ、技術の未熟さに手を震わせました。しかしながら、先生方全員が私に大切なことを親身にご指導して下さいました。

中でも恩師の先生のお言葉がありました。

「教える為には10倍努力、尊敬されるには100倍努力」
そして早く先生方のような講師になりたいと、諸先生方にアドバイスを頂きながら、学生時代以上に様々な勉強を一生懸命しました。
技術面に関しては学生時代にお教え頂いた恩師の先生のクリニックに定期的に訪問させていただき、直接ご指導をしていただいたりもしました。あの頃の原動力は諸先生方のような講師になりたい、誰にも負けたくないという気持ちだったと思います。
そして、何よりも学生時代との一番の違いは、講師という教える立場には大きな責任があることです。学生ご本人の将来はもちろんですが、そのご家族や支えてくれている大切な存在がいることを忘れてはなりません。高校卒業後に入学してきた学生の皆さんには、それを全力で応援してくれるご両親がおられます。我が子を地方から遥々東京へ上京させた親心を思うと、きっと我が子の夢の為、将来の為に胸を痛めて決心されたのだと思います。
また、新たな人生へのチャレンジとして入学された社会人の方々には奥様やお子様が待っているという方もおられます。誰でも許してくれることではありません。そこにもやはり、相当の決心と大きな大きな理解があったと思います。
学生の皆さんには、時に厳しく指導することも少なくなかったと思いますが、学生の皆さんの後ろにいるご家族の皆様の為にも中途半端はできないと考えていました。
(佐)
たしかにそうですね。けして安くない学費を出して入学してくるわけですからね。私も広報として入学生に相談をされることが良くありますが、入学後「ちゃんと自炊できてるかな?」「アルバイトで眠くないかな?」等、母親のような気持ちになることがあります。口にはしませんが・・・
さて、石川先生は、2014年春に富山県にてご開業されましたが、富山県を選んだ理由は何ですか?
(石)
以前から、独立開業する時は落ち着いた環境でやりたいという気持ちがありました。
祖父母と私の従兄弟が秋田の自然豊かな環境で暮らしている影響で、田舎暮らしへの憧れのようなものがあり、いつか自分もこんな環境で暮らしたいと思っていました。
秋田、地元埼玉、東京都内など幾つかの候補がありましたが、富山を初めて訪れた時に、今まで感じたことのない街の雰囲気と同時にどこか懐かしさを感じる情景があり、惹かれるところがありました。最終的には家族皆で相談し、将来的な事なども含めて富山での開業を決断しました。
富山は東京近郊からかなり遠いというイメージがあると思いますが、来年春に開通する北陸新幹線では東京-富山間が2時間で結ばれます。地元埼玉の春日部にも帰郷しやすいですし、東京にもアクセスが良いのがポイントにもなりました。
また富山は教育や福祉などに力を入れており、接骨院の数が日本で一番多いというヘルスケアの需要が高いという点もあり、その中で安心できるカイロプラクティックを提供することは存在意義が高いのではないかと考えました。実際に開業して感じているのは、痛みや痺れの強い症状を抱えているケース、手術後の改善しない症状を抱えているケース、病院やその他の治療で改善せずに困っているケースなどのご相談が非常に高い割合を占めているため当院が果たすべき役割が明確であり、最高の舞台だと感じています。
(佐)
富山は自然豊かな環境だと思いますが、生活スタイルというか、何か変化はありましたか?
(石)
富山は自然豊かな環境ですが、富山市内は路面電車が街中を走り、便利で暮らしやすい環境だと思います。特に富山市内は街中がきれいに整備されている印象で、県庁や市役所などの公共機関がどこも新しく近代的で素敵なデザインです。
生活スタイルという意味ではこれまでとの一番の違いは通勤電車がないことですね。お気に入りの自転車で毎日10分位の往復ですし、雨風の強い日は車通勤していますので、その点非常に恵まれていると思います。そして何より一番はやはり魚が美味しいことですね。
これから特に魚が美味しくなる季節だと聞いていますので、大きな楽しみの一つです。
生活スタイルという意味では、富山の方々は夜が早いといいますか、20時くらいには街中も静かになりますので、夜が長く感じられて帰宅してからの過ごし方に余裕ができたように思います。
それから、以前ラフティング(川下り)に挑戦してきました。流れの強い川をボートで下っていくのですが、こんな経験今までしたことなかったという位最高でした。富山の大自然を身体で感じることができたような、そんな体験でしたので、またチャレンジしたいと思います。それからこれからのシーズンはスキーとスノーボードですね。スポーツは全般大好きなので患者さんにオススメして頂いたゲレンデに通いたいと思います。
(佐)
まさにクオリティ・オブ・ライフが最高な環境ですね。憧れる生活です。カイロプラクターはまさに「手に職」なので、自分の生き方や好きな土地を選んで仕事ができる、数少ない職業だと思います。
では、ご開業にあたり、後輩に何かアドバイスがありましたら教えてください。
(石)
私はまだ独立開業して1年未満ですので、アドバイスできるほどのことはありませんが、開業は大きな大きな節目となるものですから、大げさかもしれませんが、その後どんな人生を望んでいるのか、どんな目標や夢があるのかをじっくりと考え、開業するということが心底必要ではないかと思います。
開業当初は数多くの先生方に色々なご指導を賜りました。細かな業務のことから、精神的な面に至るまで、支えてくれた多くの同志がおりました。またTCCのスタッフの皆様にも、開業に関わる色々なサポートをしていただきました。

佐藤さんにはホームページ制作をはじめ、治療院の看板やロゴのデザインを考えて頂き、とても気に入ったものを完成して下さいました。改めましてその節はお世話になりました。

それから、当院は開業にあたり「富山県新世紀産業機構」の創業支援事業というものにチャレンジしました。新規事業の創業にあたり、富山県からの助成金を受けることができるというものです。これには非常に厳しい審査があり、採択されるには非常に高い倍率を勝ち抜かなければなりません。審査は資金的なものだけでなく、事業に関わる全てのことを簡潔に分かり易く説明し、その事業プランが第三者の専門家から十分に理解され、行政が応援するだけの価値があると納得してもらわなければなりません。
しかもカイロプラクティックに関する説明や、他のヘルスケアとの違い、我々の存在意義を説明することは容易でなく、非常に多くの時間と労力を費やしました。ただ開業するだけでも大変なんだからと、挑戦に反対する声もありましたが、採択を受けられるか否かは結果論として、このチャレンジをすることで当院の目的や目標など、曖昧としていた部分を明確にできると思い、諦めずに何度も担当教官のところへ出向き、指導を受けながら書類を作成していきました。
そして富山に移住した初日に、合格の採択結果通知が届きました。 開業前にして、我々の構想が認められたことで自信も持てましたし、何よりも新規事業や経営に関する専門家の皆様には様々な勉強をさせていただきました。開業後も色々な相談やご指導をいただけるのと、同じ採択者間の他業種の方々との交流などもありますので大変勉強になります。
是非、これから開業をされる先生方には管轄の行政が行っている新規事業支援にチャレンジされることをお奨めします。資金的な助成に加え、それ以上に起業に必要な他では学べない多くのことを得ることができると思います。
開業当時になかなかクライアントの方々の相談が無く、不安な想いでいっぱいだった時、恩師の先生が電話で言って下さった一言が支えになりました。
「正しいことをきちんとしていれば、必要とされない訳がない」
分からないものは勉強する、苦手なものは克服する、それがどんな環境にいても自身を高めていける唯一の方法だと思っています。開業して東京を離れても今尚、上手く改善に導けないケースがある時は、恩師の先生に電話で相談したり、画像所見があればデータをお送りして意見を伺ったりと、諦めない気持ちを大切にしています。上手く行かないケースはどんな先生でも必ずあると思いますので、そんな時に諦めないで、次回来院時までに対策を考える、必要あれば教えを受ける。時にそのクライアントの苦しみを改善できなかったとしたら、同じ苦しみで来院される未来のクライアントは必ず改善できるよう成長する。
それが我々にできる誠意であり、責任なのではないかと思っています。そこから諦めそうになる時もありますし、曖昧にしてしまうことも簡単ですが、苦しいのは我々ではなくクライアントの皆様ですから、我々はクライアントの皆様に果たすべき責任があるということ、それと同時に成長の機会を頂いていることを忘れたくないと思っています。
(佐)
今後、何か目標かなにかありますか?
(石)
オフィスの控え室にこんなメモ書きを貼って毎朝お天道様にお願いしていることがあります。
・皆が健康で安全に暮らしていけますように
・皆が優しい心を保てますように
・いつまでも平和な世の中でありますように
・患者さんの力になれますように
私にとってこの4つが今もこれからも変わらない目標です。最も身近でありながら、いつも大切にしたい目標です。
まだまだ人生を語れるほどの器もありませんが、忘れることのできない東北大地震や原発事故などを通して、また身近な親族や心の支えであった恩師、大切な人々との別れを経験する中で、何かを成し遂げたり、何かを成功させたり実現させることだけが人生の目標ではないと考えるようになりました。これが私のささやかな目標です。
もちろん臨床面、経営面での目標もありますが、それは秘密にしておきますね(笑)
(佐)
カイロプラクティックを業としていて、面白いな、よかったな、と思うことがありましたら教えてください。
(石)
やはりクライアントの方々の苦しい症状から解放された時は本当に良かったなと思う瞬間です。
特に酷い症状を患い仕事を休職していた方が復帰されたり、仕事や家庭のことを考えると手術もできないと困られていた方が元気に改善されていったケースなどは印象的です。
ただし一方ではご相談を頂き、信じて身を任せて下さった方々の中にこちらの力不足で望ましい結果を出すことができなかったこともあります。そんな時は今でも悩みますし、落ち込むこともあります。そんな時、また力を下さるのもクライアントの皆様です。
「先生に出会えてよかった」「先生が富山に来てくれてよかった」そんな一言で、また勇気が持てるようになります。そんな毎日の中で、一人でも多くの方々の力になれるよう精一杯努めること、それが私の役割だと思っています。
TCCへの入学を検討されている皆様は、何かの縁があってカイロプラクティックに関心を持たれていることと思います。縁あって巡り合った職業として、大きな花を咲かせるために必要な学びと教えをTCCが与えてくれることと確信しています。新しい一歩を踏み出すことには大きな決断が必要ですが、4年後の今、その決断が間違いでなかったと思う日が訪れるはずです。
頑張ってください。
(佐)
石川先生、今日は色々とたくさんのお話がきけて、とても嬉しいです。真摯な姿勢が伝わってくるお話でした。ありがとうございました。

第3期生 檜垣 暁子


桧垣 暁子

あきカイロプラクティック 副院長

ALL ABOUTの健康コラムを担当。
著書に「仕事の疲れ予防法!」(アスカビジネス)がある。

私は、横浜市都筑区で「あきカイロプラクティック」を開業しています檜垣暁子と申します。
学校を卒業して約10年ほどになります。開業当初は、日々の臨床と、その頃にスタートした健康関連のコラム執筆で、毎日が慌ただしく過ぎ、気づけば30代半ばを迎えていました。

カイロプラクティックを職業にしたいと考えている女性の皆様は、おそらく一度は、ご自身の年齢と仕事と、結婚、出産のタイミング、育児といった女性としてのライフプランを頭の中で、思い描いたことがあるのではないでしょうか。ある程度、現実味を帯びたイメージができあがらないと、カイロプラクターとして仕事を続けていくことができるのかと、考え込んでしまうかもしれません。

私には1歳の娘がおりますが、今までの経験では、勉強をするためにセミナー出席をするにも、仕事をするにも、家族や友人など、周囲の協力は不可欠だと思いました。保育園や市や区の育児サポート制度などを利用する手段もあると思いますので、あらかじめ調べておくと良いかと思います。結婚・妊娠・出産・育児によって、もし仕事を一時お休みすることになったり、限られた時間しか臨床に携わることができなかったとしても、その間に培われるものは、とても貴重で女性だからこそ経験できることであったりします。

例えばですが…妊娠中の体調不良や体の痛みで、来院された患者様は少なくないと思いますがそういったケースでも役立つはずです。
妊娠中の腰痛や骨盤部の痛みがリラキシンの影響だけに限らないことや、つわりの緩和や悪化予防につながるヒントなどを、自分の体験や調べた知識と連動させて、さらに勉強することもできると思います。また、出産後まもなくの肩こりのひどさが、授乳や抱っこによるものだけではないことも、わかってくると思います。仕事のお休みしている期間には、アンテナをはる場面がたくさんあり、仕事を再開する頃には、頭の中の引き出しがいくつも増えている可能性があります。

ですから、カイロプラクティックは、一生の女性の仕事として考えることができると、私は思っています。女性カイロプラクターのニーズは、多いと感じていますので、ぜひ、皆様に生涯の仕事としてカイロプラクターを選んでいただけたら嬉しいです。

最後に、施術以外の活動のひとつをご紹介いたします。昨年の11月27日が放送日でしたが、読売テレビ【上沼、高田のクギズケ!】というニューストークショーの番組に出演しました。
高田純次さんの質問に、ホラー作家の山口敏太郎さんがレポーターとして取材をし回答する、というもので、今回はのお題は「腰に負担をかけないくしゃみの方法とは?」でした。
テレビのお仕事は、スタジオ収録ですと、打ち合わせから収録まで、数日間を要することも多く、スケジュールが合わないことが多々ありました。今回は、短時間の取材だったので、娘も同行することができ(…といっても、奥の部屋から叫んでいたり、やはりじっとはしていません)、レポーターの山口さんやスタッフの方々と、笑いの中、撮影を終えることができました。
今後も様々なかたちで、臨床や勉強で得た知識や経験を活かせればと思います。

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